鰻屋にて

鰻が好物である私は、1~2ヶ月に一度、クリニックからそう遠くない鰻屋さんへ足を運びます。鰻価格高騰の折、その店でも鰻重は二千数百円、上鰻重は三千数百円もするのですが、ガイドブックにでも掲載されているためか、しばしば旅行者らしい客を見かけるその店のうなぎは、その価格に見合う格調高い美味しさがあります。

さる土曜日の昼下がり、久々にその店におもむいた私は、タコわさびで瓶ビールをチビチビやりながら、鰻重の到着を待っていました。隣のテーブルには旅行者らしき若いカップルが1組。「うな茶漬け」と「肝焼き」といういかにもな注文をした二人は、落ち着きなく店内やメニューに視線を泳がせていました

・・「ウィーン」・・

そこへ、入店してきたひとりのオヤジ。勝手は知ってるぞとばかりにラックの新聞を掴み、案内を請うこともなく、アベックの隣のテーブルに向かったオヤジは、座りしなに
「上鰻重、お願いしま~~す」と高らかに吟じました。

(すわ、常連さまか! 一人で! 上鰻重!! かっけ~!!!)
そんなアベックの羨望のまなざしを感じてか、バシャバシャと新聞をたぐる指先にも気合いが入っているようです。やがて運ばれてくる上鰻重を無造作にかき込み、お茶を飲み干し、「勘定置いとくよー」と声をかけて、爪楊枝をくわえながら店外へ出れば、彼のストーリーは完結したのでしょう。
・・・しかし、悲劇はかすかな足音をたてて近づいて来ました。

店奥の客への配膳が終わり、お盆を抱いて引き上げてきた女店員さんが、オヤジに目をとめて一言
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
「え、え、えッ・・・えーーーッ!?」 動揺を隠せないオヤジ
「ご注文は?」 容赦のない店員
「えッ!あッ!さっき、じょ・じょ・じょ上鰻重って・・・」 しどろもどろのオヤジ
「上鰻重ですか? “上”で“上”で、上鰻重でよろしいんですね?!」
「・・あ、・・は、はい・・」
「では上鰻重をひとつ、承りました。少々お待ち下さい。」

すたすたと歩き去る店員・・・放心状態のオヤジ・・・困惑顔のカップル・・・必死で笑いを堪える私・・・
“常連さん”への道は険しい。