世界遺産登録返上へ

富士の麓、沼津市で生まれ育ったにもかかわらず、私はまだ富士山頂まで登ったことがありません。なぜなら、そもそも富士山を登るべき対象として見ていなかったからです。

朝になれば東の空に朝日が輝き、夜空に青白い月が浮かんでいるように、晴れた朝に北の空を仰ぎ見れば、そこには常に雄大な富士がそびえ立っていました。
富士山がどんな方向にどんな大きさに見えるかで、自分の位置を推し量り、富士山の見えない所は、自分にとってはアウェイなのだと身を引き締めたものです。
日本人の誰もが初夢に見たいと恋い焦がれ、世界に誇るその麗しき山は、それを愛でる気持ちがまさに日本人としてのアイデンティティであり、故郷そのものなのです。

富士登山は、生涯にただ一回。それまで己に注がれた全ての愛情に感謝し、今後の人生の目標を、日本一高い場所で厳かに誓う。そう決めていました。そしてそれに最適な時期はそろそろだと、数年前から思っていました。
しかし何と今年、富士山が世界遺産とやらに登録されてしまいました。これで当分は富士山に登る気にはなれません。
「世界遺産になったのでやって来ましたー!」という浮薄な輩と同道するのは耐えられませんので。

富士山の世界遺産登録が報道された直後、私の敬愛する曽野綾子氏がおっしゃいました。
「最近の日本人は、“お墨付き“好きが過ぎる。・・(中略)・・私にとっては、他人や世界が認めなくても、富士山は富士山だ。・・(中略)・・世界遺産などという余計な肩書きなどないほうが、日本人の愛する富士山を日本人自身の自覚と設計によって自由に保てるかもしれない。」

むべなるかな。
ユネスコだかステテコだか知りませんが、いったい彼らに崇高な日本文明の何が分かるというのでしょうか?
日本人でも知らないような、「ナントカ銀山」が、村おこしのために「世界遺産」を”利用する“というのは大いに結構です。しかし既に世界で知らぬ者のない霊峰を、今さら白川郷や厳島神社と同列に扱うことに何の意味があるのでしょうか?
私に言わせれば、お天道様やお月様を世界遺産に登録したような陳腐な出来事です。

しかも、今回の世界遺産登録には、3年以内の環境保全システムの整備などの条件がついているというではありませんか。ますますもってきゃつらは何様なのでしょうか?
しかしこの屈辱的事態を奇貨として、登山道の不備やゴミ問題が少しでも改善に向かえば、それはそれで喜ばしい事です。
そして出来れば3年後、これら難問をきっちり解決した上で、世界遺産登録を返上してはどうでしょう?

今まで、一旦登録された世界遺産が抹消されたケースは2件。
一つはドイツの「ドレスデン・エルベ渓谷」。交通渋滞緩和のため、住民投票の末に建設された架橋により、景観が損なわれたとして登録抹消となったそうです。当の住民たちはそれでも登録の継続に未練たらたらだったとか・・・
もう一つは、オマーンの「アラビアオリックスの保護区」。管理が面倒になった(?)国王が、勝手に保護区を10%に縮減。それに激高したユネスコが登録を抹消したとのこと。オマーン国内では「どこ吹く風」だったそうです。
ドイツは情けないし、オマーンはあまりに不遜です。われわれ日本人は武士道精神に則り、キッチリと要求に応えた上で、慇懃に世界遺産登録を返上しようではありませんか!
そんなことをすれば、その後の日本からの登録要請は一切却下されるかもしれません。しかし、それでも結構でしょう。そんな了見の狭い機関のお墨付きなど、こちらから願い下げですから。

ところで、伊勢神宮と世界遺産について調べてみました。
表向きは、20年ごとの式年遷宮が、「普遍的価値云々」という世界遺産の趣旨にそぐわないという理由で、登録申請をする予定はないとのことです。
ま、伊勢神宮にとって、世界遺産など端から眼中にないことは明らかなのですが・・
 

クリニック2階ベランダから・・・残念ながら富士は望めません。